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マツダの歴史②

80年代、マツダはFFファミリアの成功やフォードとの資本提携を経たのち、韓国の起亜自動車への資本参加や北米や台湾での現地生産など海外への進出も積極的に進め、1981年にはフォード系の車種を販売するオートラマの設立を手始めに、1989年にはユーノスとオートザムを設立、1991年には既存のマツダオートをアンフィニに変更して販売系列を5チャンネルに拡大、トヨタや日産に対抗するべく販売網の強化を目指しておりましたニャ!

このころは世界的ヒット作のユーノスロードスターを生み、1991年にはロータリーエンジンがルマン総合優勝を飾るなど、マツダの華やかな話題が続いでいましたニャ!

ところがどっこい、販売店を増やしたものの車種が少ないために矢継ぎ早に新型車を投入することになったためにユーザーがついていけず、乱立する車種にアルファベットと数字による車名がさらなる混乱を呼び、よほどのマニア以外は名前とクルマが結びつかない状況になりましたニャ(*´`*)

バブルも崩壊し、急激な販路拡大計画が失敗に終わり、マツダは再び窮地に追い込まれましたにゃ:(´◦ω◦):

そこで1996年、フォードは株式保有比率を33.4%に高めてマツダを子会社化、販売系列も3系列に整理してブランドイメージ向上に努めてデミオなどのヒットを経て徐々に立ち直っていきましたニャ!

2000年代に入ると逆にフォードがリーマンショックに起因した世界金融危機による業績悪化に伴って傘下のブランドを次々と手放していく中、マツダ株式も2015年には全て売却、36年に渡る資本提携は終了しましたにゃ!

完全復活したマツダ、他メーカーとは違う独自の路線でいまも頑張っておりますにゃよーヽ(ˆωˆ)

今回のFD3SRX-7はそれまでのサバンナの名を外して新生、アンフィニブランドに移行して販売されましたにゃ!

直前の夏に日本車として初、もちろんロータリーエンジン唯一のル・マン総合優勝を成し遂げたマツダが199112月にデビューさせたのが3世代目のRX-7でしたにゃ^._.^

そんな1991年は「ウォーリを探せ!」が流行りましたよにゃー(˃̶  ˂̶)

今回はごろんたもどこかに隠れていますのでよかったらさがしてくださいにゃーんヽ(ˆωˆ)

その他には東京都庁が新しくなったのもこの年のことでしたにゃよー!