· 

日産パイクカー(1987−1991)

日産自動車は1985年の東京モーターショーに参考出品したBe-1の反響の大きさから生産化を決定、その新しくも懐かしい、どこか温かみのあるデザインが話題となって1987年にショーモデルをほぼ忠実に再現して発売されましたにゃ!

名前の由来はデザインスタディのひとつ、B案のNo.1から採用されたからというのは有名なお話ですよにゃ!

1万台の限定生産のため、発売当初から注文が殺到して生産が追いつかず、中古車市場では新車より高い買取価格が提示されたことから「財テクカー」なんて呼ばれたりもしましたにゃよ!

そしてBe-1の成功を受けて同じく1987年のモーターショーに参考出品され、1989年に発売されたのがパイクカー第2弾のパオでしたにゃ!

パオはBe-1の反省から台数限定とはせず、予約期間を限定する方法がとられ、バブルの好景気もあって予約は相変わらず殺到してなんと3ヶ月の受注で4万2000台も売れる大ヒットとなりましたにゃよ!

マーチベースのパイクカー第3弾は1991年発売のフィガロですにゃ!

「日常の中のちょっとしたお洒落、優雅な気分を気軽に楽しめる個性的なパーソナルクーペ」というコンセプトから開発されて、一種独特の雰囲気を漂わせるレトロ調のスタイリングがとってもキュートですよにゃん!

車名の由来はモーツァルトの歌劇、「フィガロの結婚」に登場する主人公から取られたらしいですにゃよ!

そんな楽しいデザインにカラフルな愛らしいパイクカーが街に溢れた80年代後半から90年代初めはバブル景気でイケイケの時代、バブルの象徴と言われたジュリアナ東京で若い女性たちが夜な夜なジュリ扇片手に踊っていましたにゃよー!